7年前、東京育ちの朝田今日子さんはイタリアの田舎に移り住んだ。 写真・文=朝田今日子 |
樹齢300年の樫の木の茂る田舎の家へ移り住んで
イタリアに渡って10年、ウンブリア州の小さな村に住んで7年になる。ローマに住んでいた頃、ときどき、イタリア人の夫と2人で田舎の空気を求めて小さな村を自転車で旅行した。その一つがウンブリアだ。ローマのうだるような暑さを避け、北に約100km、1時間ほど電車に揺られてゆく。太陽に恵まれた国イタリア独特の光が、ウンブリアの丘陵を照らし、幾種類もの豊かな緑を見せる。石造りの家に映るオレンジ色の夕焼けは、目に染みる美しさだ。
空気が乾燥し、汗をかいてもすぐに乾くさっぱりした夏の気候はとくに魅力的だった。ここにいると明らかに体調がよくなる。この体調のよさは一体なんだろう、いつもこの調子のよさを保ちながら暮らしたいと思った。
東京育ちの私とローマ育ちの夫が、はたして田舎で暮らしていけるのだろうかと不安もあった。でもその心配は杞憂だった。夫の話では、生まれ育ったローマを離れる時のショックは自分の一部をもぎ取られるような感覚だったのに、樹齢300年の巨大な樫の木とオリーブ畑の広がるこの家に着いた途端、すっかりそのショックを忘れたそうだ。
あまり知られていない地方の料理の魅力
最初はこの地域の家庭料理のことはまったくわからなかったが、子どもが生まれてからは自然と近所の人々との交流が深くなった。みな、日本人の私を見て、この人の家族は一体何を食べているのだろうかと興味津々だった。
「かわいそうに、夫のシルヴィオさんやこの赤ちゃんはこの土地のおいしいものを知らないのね」と農家のおばさんの感謝すべきおせっかいで、私は彼女たちから様々な地元の料理を教えてもらうことになった。
イタリアの地方料理というのはいまだに公になっていない謎の部分が多い。なぜなら、イタリアでは階層社会が存在するため、農家の人はメディアの人間との付き合いもなく、自ら本を出すようなこともないからだ。イタリア料理を支えてきた多くの魅力的な根っこの部分は、まだまだ知られていないことが多いのである。
カポッチ家の鳩の丸焼き
わが家から、舗装されていない道に樫の木の茂る自然のトンネルを歩いていくと、500mほど先に大家族カポッチ家がある。カポッチ家には息子と仲良しの、1歳年上のガブリエーレがいる。
家の前に着くと、当時3歳のガブリエーレが黒っぽい塊を持って歩いていた。なんだろうとよく見ると、なんと首から血を流した鳩の死骸だった。ギャーッと心の底で叫び声をあげつつ、「それどうしたの?」と聞く。ガブリエーレはお母さんの鳩を絞める作業を手伝っていたのだ。いつ石けんで手を洗うかハラハラしながら見ていたが、いっこうに洗う気配がない。
グッとこらえつつ、私も手伝うことにした。鳩の肉なんて、ローマのレストランで食べたけどあまり好きではなかったなあと思いながら羽根をむしっていると、ガブリエーレのお母さんは「鳩は好き?え、好きじゃないの? おいしいのよ。私がつくったのをぜひ食べてみなよ。今夜夕食に招待するからさ」と言う。
8時を過ぎて日が沈み始め、涼しくなってホッとする頃、街灯一つない真っ暗な帰り道用に懐中電灯を持って、散歩がてらカポッチ家に向かって行く。
彼らの家には、お客さんが40人は座れる大きなテーブルがある。その横の暖炉では朝絞めた鳩をグルグルと回しながら炭火で焼いている。こんがり焼けていい色合いだ。固くなったパンと自家製サルシッチャ(イタリアの粗挽き生ソーセージ)の中身をほぐしたものに、卵1つ、刻んだ鳩のレバーを混ぜ合わせ、おなかに詰めてある。
鳩の肉はレストランで食べた元気のない料理と違い、心の底から力がわいてくるようだ。香ばしくてちっとも嫌なにおいがなく、赤身なので鶏肉よりずっとサッパリしている。よく焼くのも特徴だ。肉と一緒に、肉汁をすっかり吸い取ってうま味がギュッと詰まった、しっとりした詰め物に舌鼓をうった。