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今、「オーガニック」を選ぶ意味は?

家族には安全なものを食べさせたいと思い、有機栽培で育った野菜や、オーガニックの商品を意識して買っています。 でもそれを「高級志向」「意識高い系」などと言われることがあり、もやもやします。

最近は有機農業の推進を掲げる政党があり、政治にも結びつくのかと驚きました。有機栽培やオーガニックを選ぶことにどんな意味があるのか、考えてみたいです。

藤原辰史

答える人=藤原辰史

京都大学人文科学研究所准教授。専門は食の思想史、環境史。
著書に『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)、『ナチスのキッチン』(共和国)、 『食べるとはどういうことか』(農文協)など。

有機農業とはなにか

まず最初に、有機栽培で育った作物を選んで買うことは、すばらしい選択である、ということをはっきり申しておきたいと思います。

有機農業とは、一定期間化学農薬や化学肥料を使用せずに作物を生産する農業のことで、JAS法で表示方法が決められています。ただ、これは表示に関する法律なので、JAS認定の有無が有機農業の意味までも決めているわけではありません。有機農業に取り組むこととその農産物を買うことには本来、単なる生産と消費以上の意味がありました。

1970年代、日本では公害が大きな社会問題になりました。農業においても、化学肥料や化学農薬が多用された結果、土壌や水質の汚染、生態系の変化などの環境問題が深刻になります。そんな状況の中、化学肥料や化学農薬を使わず、地域資源を生かした持続可能な農業として取り組まれたのが有機農業でした。

またその頃の有機農業の担い手は、農業が人を殺す技術につながらない、ということも強く意識していました。背景には、戦争時に火薬をつくっていた企業が、火薬と同じ材料で肥料を生産していたり、トラクタが戦車の技術を応用してつくられていたり、農薬が毒ガスと同じ化学物質だったり…、といった状況がありました。人を生かす農業が、人を殺す技術と結びついてしまっている。巨大な資本があり大量の化石燃料を入手できる、大きな国の大きな企業だけが肥料や農薬をつくる技術を持ち、利益を得る。そんな社会の状況を打破するのが、大きな技術に頼らず、土壌の力に即した営みである有機農業であると考えたのです。そしてそれを買う消費者との提携が、有機農業の継続的な営みを支えました注1

【注1】日本で有機農業が始まった、1970年代から80年代にかけて、一般的な市場流通において有機農産物の評価が低く、農家が有機農業を維持できない状況に陥ることがあった。そのため、有機農業を維持するために正当な価格で消費者が買い支える、生産者と消費者の互恵、相互協力が行なわれた。このような活動は「産消提携活動」と呼ばれる。

ところがいつの間にか、有機農業はそうした思想や農村とのつながりから切り離され、「商品」として注目されるようになりました。同時に、健康のために有機農産物を食べる、といった消費者中心の健康主義に陥り、文明批判の意味合いは弱まります。もちろん健康は大切です。でも、自分や家族(だけ)の健康を何より大切にする健康主義が、政治的に利用され、自分たちさえよければいいという偏った考えに結びついた歴史があることも忘れてはいけません。その極端な例がナチス・ドイツです。

ナチス・ドイツの排外主義

19世紀末から20世紀にかけて、ドイツでは急激に都市化が進みました。線路ができ、馬車の代わりに車やバスが走り、洗剤は化学製品に、服は化学染料で染められるようになります。急速な近代化に対し、一部の市民は不安や不満を抱き、衣食住を昔ながらの農村スタイルに近づけたり、もっと自然に根ざした農業をするべきだと考えました。18世紀後半に考案され、欧米でセルフケアの方法として知られているホメオパシー注2は、この頃近代医療に違和感を抱く人たちの間で広がりました。

【注2】ドイツ人の医師サミュエル・ハーネマンが体系化した医療。体にもともと備わっている自然治癒力を活性化させることを重視する。レメディーと呼ばれる砂糖玉を薬として用いる。

都市ではこのように文明批判の思想をもつ人たちが、周囲からはややうさん臭いカルト的な存在とみられていたようです。そんな彼らに積極的に政治的メッセージを伝えたのが、当時まだ泡沫政党だったナチスでした。ナチスは、「血と土」というスローガンを掲げ、ドイツの自然と"アーリア人種"の血統を賛美し、自給自足的な経済を目指しました。近代化によって都市での生きづらさを感じていた市民も、農村が無視されていると感じていた農民も、農村を重視するナチスのメッセージを好ましく受け取り、支持は広がりました。

しかしナチスが紆余曲折を経て第1党になったのは、何といっても世界恐慌による影響が決定的です。第1次世界大戦で経済封鎖された際に、76万人もの餓死者を出した記憶も呼び起こしながら、不況で仕事を失った市民や借金を返せず家や牛を失った農民たちに対し、「ユダヤやスラブの資本が入り込んでいるせいで、こんなにすばらしい我々ドイツ人が困窮している」と主張し、多くの賛同を得たのです。

どんなに貧しくてもドイツ人であれば救う、というのがナチスの考えでした。貧困撲滅を掲げ、自然保護法をつくり、自然を味わい、安全に生産された作物を食べて健康でいる権利を約束しました。しかし税収や「安全に生産された作物」には限りがあります。これが成り立ったのは、市民権がなく、公務員になれず、貧困者に対するケアも受け取れないユダヤ人やスラブ人を迫害し、その権利を奪っていたからです。

消費者としてできること

日本でも、選挙で食の安全を公約に掲げ、有機農業やオーガニックを推進する政党がありました。食の安全、とりわけ子どもの食や健康は、人の心に届きやすいトピックです。ドイツでも実際に、政治的なプロパガンダに子どもが多用されました。しかし、耳ざわりのよいメッセージを前面に出しながら、そのために外国や外国人を排除することが必要だ、という類いの主張は、実際には自国が抱えるさまざまな問題を見えにくくする論点ずらしになっていることは、歴史が示しています。

私たちが消費者として排外主義に陥らないためには、どんなに貧しい人でも健康である権利があり、その権利は日本人に限らないことをいつも留意する必要があります。日本に住む外国人はもちろん、遠い国で働く労働者も含みます。チョコレートに使われるパームオイルは、インドネシアの森林を切り開いて得られ、安くておいしいバナナは、フィリピンのミンダナオ島の自然を酷使してつくられています。そこで働く人たちが健康であるべき権利も、当然奪ってはいけません。

自然を切り開き、労働者を低賃金で働かせるグローバルな農業が今、社会のベースにあります。それに対抗しうるのが、地域の自然の中で循環することで持続可能になる有機農業と、それを支える消費活動です。子どもに悪いものを食べさせたくないと考えるのは当然です。でも子どもたちには、「安全な食べ物」だけでなく、循環的な自然環境の中で、他人を傷つけないで生きていける社会が必要です。有機農業やオーガニックを選択することは、家族に農薬で汚染された食べものを食べさせないことだけではないのです。子どもたちが生きる未来の社会への投資でもある。そんな広いビジョンにつながっているのです。