ご当地牛乳から見える、牛乳の未来|食べるんだから知っときたい

「食べるんだから知っときたい」は、食べることに関連して「聞いたことはあるけれど、よくわかっていないこと」や「とても身近な問題なのに、ふだんは意識していないこと」について、専門家の方にわかりやすく解説していただく連載です。

「うかたま」82号(2026年春号)掲載

Q. 普段食べたり飲んだりするものはできるだけ地元産で、つくっている人を応援するつもりで買いたいと思っています。牛乳は遠くから来るイメージでしたが、旅行先で「ご当地牛乳」を飲んで、小さい乳業メーカーに興味を持ちました。
いまの時代、地方の小規模な企業が続いていくのは難しいかもしれませんが、「ご当地牛乳」は今後も飲めるのでしょうか?

著

答える人=前田 浩史

社団法人中央酪農会議、一般社団法人Jミルクなどの酪農乳業団体に40年余り在職。編著に『東京ミルクものがたり:東京酪農乳業 史跡を巡るガイドブック』(農文協)など。


生産者と消費者の間に

 私たちが普段飲んでいる牛乳は、牛を飼育して生乳を生産する農家(酪農家)から、乳業メーカー、そして小売業者を経て食卓にやってきます。牛乳は約9割が水分のため傷みやすく、そのまま保存できないので、搾乳後できるだけ新鮮なうちに殺菌などの処理をしなくてはいけません。酪農家が搾乳した生乳を集荷し、殺菌処理などをして牛乳に加工するのが乳業メーカーの仕事です。乳業メーカーはよく知られている明治や森永乳業などの大手の他にも、農協系メーカー、そして地域に根ざした小規模な地域乳業があります。

 牛の飼育、殺菌・加工、販売と、現在はほぼ完全分業ですが、日本で牛乳の生産が始まった明治初期は「牛乳搾取業者」といわれた人たちが一貫して行なっていました。

牛乳搾取業の誕生

 日本におけるもっとも古い乳利用の歴史は、6世紀頃までさかのぼります。しかし当時は仏教行事や宴会の供物、または滋養強壮の薬とされ天皇や貴族に献上されたため、庶民が口にすることはありませんでした(注1)。農村において牛は、水田を中心とした農作業を担う大切な労働力で、堆肥を生み出す家畜。牛乳は子牛を育むためのものであり、人間が飲むものではないという認識は、その後長く続きました。牛乳や乳製品を「主食」として、古代から酪農が農業のベースであった欧米とは、大きく異なります。

 江戸時代後期になると、長崎の出島を通して西洋の文化が伝わり、オランダ人によってバターなどの乳製品が持ち込まれます。牛を飼育し搾乳する「牛乳搾取業」が広がったのは、その後の明治時代です。幕末に開港された横浜や函館などの外国人居留地で、外国人が自国から持ち込んだ牛を飼育する牧場を開設したことがきっかけでした。バターやチーズは船で輸入できましたが、傷みやすい牛乳は生きた牛から搾るしかありません。日本に暮らす外国人は、どうにか牛乳を得ようと牧場をつくり、日本人の牧夫を雇いました。

 こうして日本に暮らす外国人、そして新しいことを好む日本人の知識人階級の中で牛乳の需要が生まれると、牛の飼育から搾乳、販売まで一貫して行なう「牛乳搾取業」が誕生しました。これをビジネスチャンスとしてその担い手になったのが、明治維新後、家禄の廃止によって仕事を失い、経済的困窮に陥っていた元武士たちでした。幕府の崩壊で空き地になった旧旗本の屋敷を牧場に転用し、牛の飼育から搾乳、販売まで行ないました。殺菌技術や輸送手段が未発達だったので、消費地のすぐ近くで生産する必要があったからです(注2)。牛乳搾取業はいわゆるベンチャーで、東京に限らず全国の没落士族が各地で牧場を開きました。

※1 大陸から、乳用牛とともに、時間をかけて牛乳を煮詰めて水分を飛ばす「酥(そ)」が伝わった。

※2 明治初期には、東京の中心地である麹町、神田、日本橋などにも牧場があった。

輸入飼料に頼る日本の酪農

 都心の人口が増え、輸送手段が発達すると、牧場は徐々に郊外へ、さらに農村部へと移ります。都市の牛乳搾取業に乳用牛を供給するため、農村部では牛の飼育をする農家が増加。そのうちに、飼育だけでなく搾乳、販売までする農家も現われました。大正期には都市部の一般家庭にも牛乳が普及していました。

 大正から昭和初期にかけて、農村では乳用牛を飼い搾乳をする酪農が一気に増加します。戦争や恐慌をきっかけに、海外から輸入される化学肥料に頼らず、牛の糞尿を堆肥として利用する「有畜農業」が奨励されたからです。同時期、大手製菓企業が国産の練乳を生産しようと農村部に工場を建て、周辺の酪農家から生乳の買い取りを始めたため、それほど牛乳の需要がない農村部でも、農家は売り先を確保できました。これが大手乳業メーカーの始まりです。

 戦後農地解放により小規模な自作農家が増えると、多くの農家が乳用牛の飼育を始めます。すると牛乳搾取業者は牛の飼育をやめ、生乳を集めて処理をする地域乳業として展開するようになりました。その後、より効率的に大量生産するため酪農の専業化が進み、自給できない飼料を海外からの輸入に頼らざるを得ない、現在の日本の酪農の仕組みが出来上がりました。

持続可能な酪農のためにできること

 牛乳は他の農産物以上に、生産農家と消費者の距離が遠いように思います。それは一概に、間に乳業メーカーが入っているから、というわけではありません。かつてはどの地域にも小さな処理場があり、「ご当地牛乳」が身近にありました。

 近年、国内の酪農経営は深刻な危機に陥っています。人口減少による消費減に加え、規模を拡大して生産性を高めるために、足りない資源を海外から安い輸入資材で補う仕組みが、資材高騰のため立ち行かなくなっているのです。

 歴史をみるとわかるように、日本の酪農の始まりは欧米のように自給的な酪農の中から余剰としてできたものを消費経済にのせていったわけではなく、最初から牛乳という商品を得ることが目的でした。大量生産大量消費を前提に効率化が進み、でも人口は減り、資材も安く手に入らなくなれば、いずれ崩壊するのは当然かもしれません。そこで今、大きなマーケットで安売り競争に参加せず、地域の中で消費者と生産者をつないできた地域乳業のあり方に注目すべきだと考えます。

 たとえば高知のひまわり乳業は、地域だからこそできることを実践する地域乳業の典型といえます。地元産100%の生乳を使用するだけでなく、搾乳日をパッケージに印字したり、製造に時間とコストがかかるけれど、高品質の生乳だからこそできる低温殺菌製法を採用したり、さらには個別の牧場のみの牛乳をつくるなど、大手メーカーにはできない強みをいかして事業を展開しています。また、学校給食をはじめ、地域にはその価値を理解して、ちょっと高くても選んで買ってくれる消費者がいることで、うまく地域の中で酪農と乳業が成り立っています。

牛乳
ひまわり乳業株式会社の「とろみひまわりミルク」。加齢や疾患によりサラサラした液体を飲むのが難しい人のために、あらかじめ「とろみ」がつけられている。地元の病院や介護施設の関係者から、「牛乳にとろみをつけにくい」と聞いたことが開発のきっかけになった。

 地元の農業を応援したいと思ったら、ぜひ住んでいる地域の近くにある地域乳業を探してみてください。じつは全国どの都道府県にも小さな地域乳業があり、その地域の学校給食を担っていたりします。持続可能な酪農を支えるには、消費者としての選択も重要な役割を果たします。

農文協 編
特集: 手づくりの発酵おやつ
前田浩史 著
牛乳市場の8割を占める「地域乳業」6企業の事例研究と、日本酪農の近現代史から、持続可能な未来への新しいカタチを探究する。